原子爆弾とは〜注52

公開: 2019年8月31日

更新: 2019年8月xx日

注52. 中国共産党と周恩来

周恩来(しゅうおんらい)は、1898年官僚で地主の家に生まれました。1913年、天津の南開く中学校に入学、共産党革命を知りました。1937年、日本に留学し、明治大学政治経済科に在学しました。日本から中国へ帰国する途中、京都大学でマルクス主義の講義を聴講しました。1919年に中国へ戻り、南開大学文学部に入学しました。1920年にフランスのパリに留学し、労働党を研究するためイギリスにも渡りました。その後、中国共産党フランス支部を組織し、ヨーロッパ総支部が作られると、その書記に就任しました。

日中戦争が始まると、周恩来は共産党の代表として重慶に駐在して、蒋介石との統一先生の維持に努めました。日本の敗戦後も重慶に留まり、毛沢東と共に国民党との連合政府の樹立に向けた階段を続けました。しかし、この会談は合意を得られなかったため、国民党と共産党との内戦が始まりました。

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